【名作と過ごす週末】イーユン・リー「千年の祈り」のブックレビュー ~短編の全タイトルと要約、読者の声を掲載~

 

ども! 部屋ダウンが脱げないカルスポ食堂・店長(@cul_spo)です!

今日、フューチャーするのは小説家のイーユン・リー。

中国で生まれ、アメリカの大学院で免疫学の修士号を取得してから、小説を書き始めた彼女は、医科学をベースにした小説を書くのかと思いきや、そうじゃないんですよね。

老境の入り口に立った女性が少年にプラトニックな恋をするなど、いままで物語に描かれなかった関係性・心情をていねいに描写する彼女の小説は、アメリカをはじめ世界にファンを増やしています。

今日はそんなイーユン・リーの処女作であり代表作、『千年の祈り』をレビューします!

彼女のプロフィールは記事の最後にあります~

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「千年の祈り」イーユン・リー 篠森ゆりこ訳

前書きと本の紹介


フランク・オコナー国際短篇賞、PEN/ヘミングウェイ賞ほか独占。驚異のデビュー短篇集!

離婚した娘を案じて中国からやってきた父。その父をうとましく思い、心を開かない娘。一方で父は、公園で知りあったイラン人の老婦人と言葉も通じないまま心を通わせている。父と娘の深い縁と語られない秘密、人生の黄昏にある男女の濁りのない情愛を描いた表題作ほか全十篇。北京生まれの新人による全米注目の傑作短篇集。

父と娘のあいだに横たわる秘密と、人生の黄昏にある男女の濁りない情愛。ミス・カサブランカとよばれる独身教師の埋めようのない心の穴。反対を押し切って結婚した従兄妹同士の、平らかではない歳月とその果ての絆。―人生の細部にあらわれる普遍的真実を、驚くべき技量で掬いとる。北京生まれの新人女性作家による、各賞独占の鮮烈なデビュー短篇集。第1回フランク・オコナー国際短篇賞受賞!PEN/ヘミングウェイ賞受賞。ガーディアン新人賞・プッシュカート賞受賞。New York Times Book Reviewエディターズ・チョイス賞受賞。The Best American Short Stories2006収録。グランタ「もっとも有望な若手アメリカ作家」2007選出。 (「BOOK」データベースより)

 

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「千年の祈り」を織り成す短編

「あまりもの」
51歳まで独身だった女性が主人公。ところが勤め先が倒産し、遅い初婚と伴侶の死が続き、女の人生はがらりと様変わりする。さらに、生まれて初めての恋、少年への初恋に目覚め ――

「黄昏」
老夫婦はいとこ同士。周囲に反対された結婚だった。ふたりには隠し事があった。それは身体障害者の娘の存在だ。しかし、いつしか親である自分たちは老い、娘は成長し ――

「不滅」
少年が生まれたのは皇帝一族の側近・宦官を輩出してきた村だった。そして、少年の顔は時の権力者・毛沢東にそっくりだった ―― 「わたしたち」という一人称複数の語り手が、二千年にわたる中国の歴史を語り聞かせる。

――

わたしたち誰もがそうであるように、彼の物語もまた、誕生のはるか以前に始まった。わたしたちの町(中国の鎮《ジェン》にあたる)は、いくつもの王朝を越えて長きにわたり、皇帝一族にもっとも信頼の置ける側近たちを差し出した。宦官と呼ばれる彼らのことを、縁《えにし》の深いわたしたちは「ご先祖さま」と呼ぶ。わたしたちの中にご先祖さまの血を引く者はいないが、血の河の流れをさかのぼれば、そこに誰かの叔父や兄弟やいとこだったご先祖さまがいる。わたしたちの家名を歴史から消さぬよう、彼らは男であることをやめたのだった。何世代にもわたって、男の子たちが七、八歳ぐらいで選ばれて去勢され ―― 「身を浄《きよ》める」と言う ―― 見習いとして宮中へ上がり、皇帝一族のために家事をおこなうことをおぼえた。それから十三、四歳で手当てをもらうようになり、その銀貨を貯めては実家の両親に送った。銀貨は、薬草と切断された男根をいっしょに入れた絹の小袋とともに、櫃の中におさめられる。やがてご先祖さまの兄や弟たちが年頃になると、両親は櫃を開けて銀貨を取り出し、その金で兄弟は嫁をめとることができた。嫁は息子を生み、その息子が大きくなってまた息子をもらいうけるか、あるいは身を浄めた者として宮中へ上がるかして、一族の名を伝えていく。長い歳月をへて脚が立たず皇族に仕えることができなくなると、ご先祖様は宮廷から暇をもらって甥たちに迎えられた。それからはもう何の憂いもなく、宮中から連れてきた、飼い主に似て太ってのろまな猫の背をなでたり、胡同《フートン》(横丁、小路)で牡犬が牝犬を追いかけまわすのをながめたりしながら、一日じゅう日なたぼっこをして過ごした。やがて死がおとずれるのだが、彼らの葬式は町いちばんの壮麗な行事として執りおこなわれた。金と赤の衣を着た六十四人の仏教の僧が、四十九日を祈って御霊を極楽へいざない、青と灰色の衣を着た六十四人の道教の道士が、四十九日舞い踊って遺体にとりつこうとする悪霊をはらった。四十九日がすんであの世に召されるとき、絹の袋に入った干からびた男根が柩のなかに置かれた。欠けていた部分を体にふたたびとりもどし、御霊は心のこりなくこの世を去り、わが町よりもよきところへおもむくことができたのだった。(54p)

「ネブラスカの姫君」
薩沙(サーシャ)は渡米の直前、うつくしい元京劇の青年役者で、バイセクシャルの陽(ヤン)と関係を持ち、妊娠。堕胎を決意してアメリカを訪れるが、そこで医師に止められる。彼もまた、陽と性的な関係にあった男で ――

「市場の約束」
三十二歳になる三三は、中国の田舎町の英語教師。若かりし頃、彼女とプラトニックな恋愛関係にあった土、その土と偽装結婚しながら美貌が仇となった旻の三角関係には、互いの思惑、大人たちが馴れた慣習、そして中国の時代と政治事情が複雑に絡み合って ――

「息子」
アメリカから帰国した青年。母親のために中国に帰った。ふたりの間には長く衝突・すれ違いがあり、それでも息子は母の横暴を許してきた。しかし、実はこの母こそが ――

「縁組」
父が出張すると、決まって泊りに来る伯父がいる。母と伯父のあいだに性的な関係はないのだが、周囲はなにかと噂をする。ただ、娘の気がかりはそこではない。実は、彼女は伯父を ――

「死を正しく語るには」
核工業部の研究センターに勤務する父と、教師の母との間に生まれた「わたし」。少女は夏と冬の一週間、「ばあや」が暮らす胡同(フートン)の院で過ごせた。ここの子どもたちの様子は研究所の友人たちとは全く異なり ――

「柿たち」
息子は川に投げ込まれ、死んだ。父は息子の仇として17人を殺害し、自首。割られる西瓜のように頭部が砕かれた処刑の様子を、農民たちが回想する。いったい、男がしたこととは何だったのか ―― 全編がほぼ、会話で織り成される短編。

「千年の祈り」
「離婚した娘を案じる」は建前だった。初老の男はアメリカに居残るつもりで中国から渡米し、娘はそんな父を邪険に扱う。すれ違いの日々に、男はある女性に出会う。そして、長きに渡る父の偽りに娘は打ちのめされ ――

――

「『一夜床をともにした夫婦は百日愛しあう』ものだ。おまえたちは七年も夫婦だったじゃないか! どうして自分の夫にそんな真似ができたんだ。とにかく、そのつまらん浮気はともかくとして、何が問題だったんだ」娘が不実な女だというのは、父にとってもありえないことである。
「いま言ってもしょうがないでしょ」
「おまえの父親だぞ。知る権利があるんだ」石氏はテーブルをたたく。
「わたしが夫とよく話をしなかったのがまずかったのよ。わたしが無口なもんだから、いつも何か隠してるんじゃないかとあの人はうたがってた」
「愛人をかくしていたじゃないか」
その発言は無視される。「話をしろってあの人(元夫)に言われれば言われるほど、黙って一人でいたくなったの。話すのが下手なのね。お父さんが言ったみたいに」
「嘘だ。電話でいま、あんなにぺらぺら話していたじゃないか。しゃべったり、笑ったり、売女みたいに!」
どぎつい言葉にぎょっとして、娘の目が石氏の顔に釘付けになる。しかししばらくするとおだやかな声で答える。「ちがうのよ。英語で話すと話しやすいの。わたし、中国語だとうまく話せないのよ」
「くだらん言い訳だ!」
「父さん。自分の気持ちを言葉にせずに育ったら、ちがう言語を習って新しい言葉で話すほうが楽なの。そうすれば新しい人間になれるの」(240p)

 

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読者の声

 

本書は、中国で生まれ育ったがゆえにそれらを持ち得なかった著者による、持たざる者たちの物語だ。母国語を用いず英語で書かれているせいか、文体もシンプルで贅肉が削ぎ落とされており、飾った文章よりも深く心に沁みてくる。そして、革命やイデオロギーの抑圧にさらされてきた中国の人々のことを単純に不幸だとは言えなくなる。豊かに見える僕たちが決して幸せではないのと同様に ―― 横里 隆(ダヴィンチ編集長)
個人の話、男女の話、親子の話ではあるけれど、それだけではない。歴史書を読むよりも、中国という国が自国民に何をしてきたのか——が心に深く刻み込まれ、小説の力を感じた。感情を極力描かず、出来事や会話を乾いた筆致で坦々と綴っているのに、作者の中に滾る熱情がしっかりと伝わってくる。登場人物たちがみな運命に屈しない強さを持っているのだ ―― 稲子美砂(ダヴィンチ副編集長)
イーユン・リーが描き出す人物の境遇は、基本的にみな「ひとり」である。孤独を望んだのではなく、自分ではどうしようもない大きな外の力によってそうあるほかなかった人々を描きながら、しかし彼女があたたかい言葉をかけて背中を押してやることはないし、「その後」に希望を持たせてやろうという過度な気遣いもない。(中略)過去にいかなる事情があろうとも、とにかく現状を認めざるを得ないのだという、きびしい了解の瞬間に読者を立ち会わせるだけだ。
(中略)
行って、帰ってくる人。行きっぱなしになる人。帰ってくるのを、ひたすら待つ人。心の動線はじつに長く、魂の行動半径は途方もなくひろい。作者の目は、その砂漠や大陸や海に埋もれそうになる個々の感情のテリトリーを、ピンポイントでとらえて放さない。
(中略)
イーユン・リーの短篇は、圧縮されているのに凝り固まらない。いつまでも冷えない感情の溶岩が、どこかに、少量だけ、確実に残されている ―― 堀江敏幸(作家)
「不滅」は、2003年秋に発表された作品。前指導部の時代、当時から現在までの間の経済成長は著しく、少なくとも都市部の生活環境は大きく変わり、しきたりも変化してはいるのだろうが、支配、管理するシステムは本質的には変わっていない。本書で描かれる天安門以降の時代の中で、市井の人たちの生きるための制約は、本質的なところで変わっていないのでは。静かに淡々と描かれる事柄に、人々に寄せる思いと哀しみが感じられる。それぞれいい作品だが、「不滅」「黄昏」が特に印象に残った ―― 丘の十人
北京生まれの作家による叙情的な短編集である。人生の黄昏を描いた作品が 多いが、心に染みるような余韻が心地良い。 現代中国に題材をおいたどの作品にも 人生への潔さと 諦念が 底に流れている印象 …中国の歴史の断片を散りばめながら、 何かを諦め、喪いながら 今を生きた 中国の 人々の 強さを 感じる…そんな印象の読後感だった ―― 遥かなる想い
本作品集がアメリカで出版されたのが2005年。淡々と語る作品からは、無垢な目で見たかのような著者の母国の歴史を、鋭い感性で物語っているような感覚を覚えたもののあたたかく優しい。ずっと表題の意味を考え読んだが、表題作は一番最後にあり、歴史の中での生活に寄り添うような祈りは、全ての作品から聞こえてくるように思えた。印象に残ったのは「黄昏」「不滅」「死を正しく語るには」「柿たち」か。特に父親と娘の関わりを書いた表題作は印象深い。出版当時から14年…最近の作品があったら読んでみたい ―― マリリン

 

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映画も作られた「千年の祈り」

 

「千年の祈り」。タイトルがもう、リリカルでドラマティックですよね。10編の短編もストーリーテリングのうまさと筆の運びの確かさ、キャラクター描写の巧みさで、とにかく読ませます。情報が溢れ、さまざまな作品が出版される現代にあって、「こういう関係やストーリーは読んだことがない」と感じさせるだけでも才能です。

ただ、「千年の祈り」は「泣かせる」だけの小説ではありません。たしかに、文学的な情緒や不幸・不条理、文学的なアイロニーは描かれています。でも、作品ごとに視点が変わったり、物語内に流れる時間の速度や幅が異なっていたり、工夫が施されています。文学技法的に、とてもテクニカルです。

また、ときにグロテスクなまでの「笑い」があるところも、彼女の短編の魅力。笑いといっても、お笑い芸人の漫才やコント、気の聞いたコメントに生じる「笑い!」とは違い、人間の生き様や人生の奇妙さが絶妙なタッチ・距離感で描かれることで生じる「わらい」です。懸命に生きる人と人が、だからこそすれ違ってしまう、やるせない「おかしさ」です。

生の厳しさや存在の稀有、関係の奇妙、歴史や時代の抗い難い無情さを炙り出し、読者の胸を突いたり、ときに嗚咽させる上質なドラマでありながら、どことなくユーモラス、どれだけ暗い状態を描こうと、作品全体から、ほのかな明かりや可笑しさが失われません。

イーユン・リーは中国に生まれ、人類史に刻まれる大事件を傍目に育ち、北京で学を収めたのちに渡米。医科学を専門としながら小説に転向し、アメリカで結婚。そのままアメリカで暮らし、大学で文学を教えながら小説を書くという、極めてニッチでマイノリティな存在です。そんな境遇を小説の人物に重ねあわせ、一方できちんとストーリーから距離を取り、シリアスに、現実的に描写する芯の強さ、ぶれなささも、イーユン・リーの特徴でしょう。

小説を英語で書くイーユン・リー。母国語以外の言語で執筆し、それがプラスに働く先例は、サミュエル・ベケットにアゴタ・クリストフ、ミラン・クンデラ、リービ英雄など枚挙に暇がありません。

ここに挙げた作家は全て、使用言語がダブル・トリプルなだけでなく、出自や境遇、人間関係といった外的な環境が複雑に絡み合い、そんななかで育ち、書き続けた作家。ほかでもない、イーユン・リーこそ、こういったコンプレックスの継承者といえます。

時代をわたるバイリンガルな書き手・存在、イーユン・リーは、短編や長編を書き続けています。「千年の祈り」は映画化もされました。

 

(おわり)

 

イーユン・リー(Li,Yiyun)

1972年、北京生まれ。

多感な思春期の高校時代に天安門事件を経験。彼女自身は、外出禁止となったため事件を目撃していない。しかし、友人は「犠牲者を見た」として逮捕。祖父は共産党に批判的だった。リー自身「教育こそ抑圧から逃げられる道」と10歳の頃に悟ったという。

核開発研究者の父と教師の母という知識階級出身で研究所内の施設で育つ。北京大学後、「政治的再教育」の名目で軍隊に入隊させられる。

北京大学卒業後、1996年渡米。

母国に恋人を残した寂しさを書き綴るち、「研究者よりも作家に向いている」と自覚。

アイオワ大学大学院で免疫学修士号取得ののち、同大学創作科修士号取得。

2004年「不滅」でプリンプトン新人賞、プッシュカート賞受賞。

2005年、デビュー短篇集『千年の折り』を刊行。フランク・オコナー国際短篇賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ガーディアン新人賞、「ニューヨークタイムズ・ブックレビュー」エディターズ・チョイス賞、ホワイティング賞を受賞。

2007年『グランタ』が「もっとも有望な若手アメリカ作家」の一人に選出。

2007年現在ミルズ・カレッジ文学部創作科助教授。カリフォルニア州オークランドに夫と息子二人とともに暮らしている。

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